2020年7月3日金曜日

北尾トロ仕事帖2020年6月 〆切が守れません

「たまむすび」に出演。
赤江珠緒さん、土屋玲央さんと
雑談にふけりました

長くライターやってるせいか
安定した生活をしているように
言われることがある。
同業者ならわかると思うが
そんなわけはないよね。
取材できないとか、取材を伴う
企画が出せない状況では
手足をもがれたも同然なんだ。
6月19日の県外移動解禁を待って
止まっていた取材を再開して
みたものの、実感として、
まだ早い感じがした。
取材される側が首都圏から来た
僕を恐れている状態では
良い取材などできっこない。
また、原稿がのろいんだなあ。
「ダ・ヴィンチ」の取材で伺った
左右社でいただいた
文豪トートバッグのことばじゃないけど
ちかごろ僕も全然〆切が守れません。
もちろん〆切破りの責任はこちらにある。
なぜそうなのか、自分だけにわかる理由はあるとしても
実際のところ、大部分は
「だるくてやる気が出ない。
PCを立ち上げる気にもなれない。
書こうとしても頭が働かない」
これに尽きるので、
こんな言い訳にもならない理由では
〆切順延願いのメールに書くこともできず、
「原稿遅れます」
そっけないメールを送ることになる。
むぅ。
こんなときは、来るべき時に備えて
企画を練るにかぎる。
結局のところ、僕なんかは
多忙なときも暇なときも
「つぎ何やるべぇか」ばかり
考えてきたわけで、
それはそうやっていることが
好きだからでもある。
水出し珈琲を作るとき、
ポタッポタッと一滴ずつ
珈琲が落ちていくのを
見ていると心がやすらぐ。
上部から一滴ずつ注がれた水が
コーヒーの粉にしみわたっていき
出口に達する頃には
香りとコクと色を与えられ、
確実に器にたまっていく。
そのように、アイデアの素を
ふるいにかけ、雑味を取り除き、
原稿を絞り出すのではなく、
出るべくして出るという書き方が
できるライターになりたい。

町中華探検隊がコラボした
S&B食品の町中華シリーズを
味を提供したお店の店主が
調理する。これは神田の
「鶴の恩返し」=肉野菜炒め
こちら谷中の「一寸亭」=チャーハン
長野市、松代城址
さんたつWEBにはリモート参加

2020.06月
<原稿>
・猟犬猟師と、いざ山へ。第11回
(青春と読書 集英社)
トロイカ学習帳 第148回
二度と訪れない日々をギュッ!
日記はリアリティが命です!?
(ダ・ヴィンチ8月号 KADOKAWA)
・町中華探検隊がゆく!
(さんたつweb 交通新聞社)

<受け取材>
・広東料理と町中華
(朝日新聞GLOBE 朝日新聞社)
・裁判傍聴席の間引きについて
(共同通信)

<ラジオ>
・たまむすび(6.18 TBSラジオ)

2020年6月2日火曜日

北尾トロ仕事帖2020年5月 すんごい暇だった自粛後半

先月、ライターを始めて以来の
自宅滞在時間を記録したばかりなのに、
早くも記録を更新。5月はとうとう、連載3本の仕事しかしなかった。
そのなかのひとつは「さんたつweb」で、
今回は担当回ではなく、ネットで鼎談しただけだから
締め切りは「ダ・ヴィンチ」と「青春と読書」の2本のみ。
じゃあ何をしてたかといったら、
ギターかき鳴らしたり、
日曜大工で棚をこさえたり、
食事当番をやけにノリノリでやったり、
畑でぼんやりしたりである。
誰でも作れる壁掛け棚
楽しみは畑仕事…おじいさんですかい
料理は楽し。ハンバーグなんかも作ったよ
自粛も長くなってくると
妙に落ち着きってもんが出てきて、
ん、これはこれでいいんじゃないかとか
思ったりしますね。
リアリティがあまりない。
やがて過去の話になるとしても
独特の浮遊体験はどこかに残るに違いない。

と、5月半ばに1冊の本が届いた。
『町中華名店列伝』という本で、
町中華探検隊のメンバー4人で書いたものだ。
僕が参加していないのは、
この本が名店ガイドだからだ。
店取材とかフォーマットに合わせて書く仕事は
昔から苦手で、企画が持ち上がったとき、
著者の一人である下関マグロから
「今回はキミに向いてないから
メンバーに入れなかったよ」
と言われてホッとした覚えがある。

自分の話をすると、月末に初の電書オリジナルを出した。
https://www.amazon.co.jp/gp/product/B088LR5Q3V?pf_rd_r=YZ5A5QJMZEA6P17M5P12&pf_rd_p=7392bae8-7129-4d1a-96a9-1cfe0aa13ab3
まさかステイホームが叫ばれているタイミングで、
人の家を泊まり歩く本を出すことになるとは…なんだけど、
僕はけっこう好きな本なのである。
自著での位置づけとしては、
『中野さぼてん学生寮』『昭和が終わるころ、僕たちはライターになった』(下関マグロとの共著)『男の隠れ家を持ってみた』『にゃんくるないさー』あたりと通じる、
個人的な話を書き綴ったものだ。
上記のどれか1冊でも読んでおもしろかった人は
楽しめると思う。

2020.05月
<原稿>
トロイカ学習帳 第147回
再起動せよ、とコロナ禍は言う!?
あの素晴らしい"思春期"をもう一度
(ダ・ヴィンチ7月号 KADOKAWA)
『僕が20年ぶりに人ん家に泊まってわかったこと』についてのコラム
(文春オンライン)
町中華探検隊がゆく!
(さんたつweb 交通新聞社)







2020年5月30日土曜日

「僕が20年ぶりに人ん家に泊まってわかったこと」発刊に際して

僕が20年ぶりに人ん家に泊まってわかったこと 

東京民泊エッセイ (文春e-Books) 

新刊をだした。
僕が20年ぶりに人ん家に泊まってわかったこと 東京民泊エッセイ 」(文春e-Books)いうタイトルだ。
*巻頭部分を立ち読みできます。文藝春秋BOOKS
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表紙は10年来の仕事仲間である日高トモキチ氏の描き下ろし。もとになった原稿は「別冊文藝春秋」に連載した「今晩泊めてくれないか」。タイトルを変え、いくつかコラムを追加した。

ただし、この本にはいつもと違うところがあるのだ。これまで、紙の本が電書化されたり、紙と電書が同時発売されることはあったけれど、今回は電子雑誌の「別冊文藝春秋」→電子書籍化と、一度も紙に印刷されることなく"本"になったのである。"本"というと紙のイメージが強いから"電書オリジナル"と呼ぶほうがいいかな。"本"が出たという言い方より、配信されたというのが正しいだろう。「別冊文藝春秋」は有料の小説誌で、連載時に読んでいた人は限定されていた。僕がこんな連載を持っていたことさえ、大半の読者は知らないと思う。

内容はタイトルそのままに、地方に暮らす僕が東京滞在時に知り合いの家を泊まり歩いた、2016年から2018年にかけての実録エッセイ。いかにも企画モノのように思われそうだが、実際には、経済的な理由から東京の事務所を引き払わなければならなくなった僕が、どうしたら節約できるかを考えているうちに、人ん家に泊めさせてもらおうと思いついたのが発端だった。

これはいいアイデアだと思ったところでハタと気づいたのが、ずいぶん長い間、人ん家に泊まっておらず、泊り方を忘れているという事実だった。社会人だとそういう人が大半ではないだろうか。

学生時代の、まだ何者でもなく、守るものも隠すものもなかったころは「単なる部屋」だった空間に、「その人のプライベート」が貼りつき、それを観たり見られたりすることが恥ずかしい感じがあるのだ。オトナになるにつれて人と人との「一緒にいられる」距離が広がり、それ以上の接近を好まなくなってしまった。そして、そのことを誰もヘンだとは思わなくなっているのが「いま」ではないだろうか。

友人のところに泊めてもらう「民泊」は、外では仮面をかぶっていくらでも取り繕えるお互いの内面が否応なくあぶり出し、"安全地帯"をキープできなくする装置ではないだろうか。そのとき、いい年をした僕たちはどんな反応をするだろう。これ、やってみる価値があるのでは? 
僕はこの思いつきに興奮し、実行に移すことを決めた。なんというか、まあ、自分が人見知りで社交性に乏しい男だというのを忘れるくらいには勢いってもんがあった。

……というふうに、おずおずとヤドカリ(宿借。ビジネスではない「民泊」)を始めてみたら、なんだかおもしろいのだ。こっちは泊り方を忘れているし、相手は泊め方を忘れている。僕は相手の好意にどのように応えたらいいのか。お礼をするべきか。それとも、気をつかわないほうが相手も気をつかわずにすみそうだから、気をつかってない感じのふるまいを心掛けるほうが結果的に気をつかえているって話になるのか…面倒くさいよ!

もちろん泊めてもらえるかどうかは相手次第。親しい間柄の人でも「それはちょっと…」とやんわり拒否する人もいた。はっきり言いにくい人はこうだ。「本当に困ったときはきてもいいよ」。これは、きてほしくないということである。

そんなふうに始まった「民泊」が、それからどうなっていったのか。いろんな人のところに泊まったいくうちに、自分でも想定していなかった展開が待っていたのだ。
東京の郊外でひとり暮らしをする妻の母親(僕にとっての義母)のところへ、結婚後25年近くたって初めて単身で泊めてもらったことをきっかけに、身内でありながらお互いをよく知らなかった義母と義理の息子(僕)の距離が、じりじりと縮まっていくではないか。その一方で信州・松本の自宅では、思春期を迎えつつある娘との関係が微妙な時期を迎え……きりがないね。
『別冊文藝春秋』連載中は、同時進行で書いていたこともあって、毎回悩みつつ、真剣そのものの顔でキーボードを打っていた記憶がある。1冊にまとめてみるとむしろ楽し気に読めてしまうのは、刊行のタイミングが、コロナ禍の最中であることとも関係があると思う。

ステイ・ホーム生活がもたらした「ソーシャル・ディスタンス」は一時しのぎの実用的な行動様式であるはずだけど、僕たちの日常に根を下ろしそうな気配だ。自分のことながら、遠い世界の話を読んでいる錯覚に陥る。
でも、遠慮したり自問自答したり、ギクシャク、よたよたしながら、人との関係をおもしろがれる生活を捨てたくない。いまだからこそ強くそう思う。
大好きな吉田拓郎の『どうしてこんなに悲しいんだろう』に耳を傾け、<やっぱり僕は人にもまれて みんなのなかで生きるのさ>という一節に深く頷くのだ。

*よかったら、巻頭部分を読んでみてください。ここで立ち読みできます。
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