2020年5月30日土曜日

「僕が20年ぶりに人ん家に泊まってわかったこと」発刊に際して

僕が20年ぶりに人ん家に泊まってわかったこと 

東京民泊エッセイ (文春e-Books) 

新刊をだした。
僕が20年ぶりに人ん家に泊まってわかったこと 東京民泊エッセイ 」(文春e-Books)いうタイトルだ。
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表紙は10年来の仕事仲間である日高トモキチ氏の描き下ろし。もとになった原稿は「別冊文藝春秋」に連載した「今晩泊めてくれないか」。タイトルを変え、いくつかコラムを追加した。

ただし、この本にはいつもと違うところがあるのだ。これまで、紙の本が電書化されたり、紙と電書が同時発売されることはあったけれど、今回は電子雑誌の「別冊文藝春秋」→電子書籍化と、一度も紙に印刷されることなく"本"になったのである。"本"というと紙のイメージが強いから"電書オリジナル"と呼ぶほうがいいかな。"本"が出たという言い方より、配信されたというのが正しいだろう。「別冊文藝春秋」は有料の小説誌で、連載時に読んでいた人は限定されていた。僕がこんな連載を持っていたことさえ、大半の読者は知らないと思う。

内容はタイトルそのままに、地方に暮らす僕が東京滞在時に知り合いの家を泊まり歩いた、2016年から2018年にかけての実録エッセイ。いかにも企画モノのように思われそうだが、実際には、経済的な理由から東京の事務所を引き払わなければならなくなった僕が、どうしたら節約できるかを考えているうちに、人ん家に泊めさせてもらおうと思いついたのが発端だった。

これはいいアイデアだと思ったところでハタと気づいたのが、ずいぶん長い間、人ん家に泊まっておらず、泊り方を忘れているという事実だった。社会人だとそういう人が大半ではないだろうか。

学生時代の、まだ何者でもなく、守るものも隠すものもなかったころは「単なる部屋」だった空間に、「その人のプライベート」が貼りつき、それを観たり見られたりすることが恥ずかしい感じがあるのだ。オトナになるにつれて人と人との「一緒にいられる」距離が広がり、それ以上の接近を好まなくなってしまった。そして、そのことを誰もヘンだとは思わなくなっているのが「いま」ではないだろうか。

友人のところに泊めてもらう「民泊」は、外では仮面をかぶっていくらでも取り繕えるお互いの内面が否応なくあぶり出し、"安全地帯"をキープできなくする装置ではないだろうか。そのとき、いい年をした僕たちはどんな反応をするだろう。これ、やってみる価値があるのでは? 
僕はこの思いつきに興奮し、実行に移すことを決めた。なんというか、まあ、自分が人見知りで社交性に乏しい男だというのを忘れるくらいには勢いってもんがあった。

……というふうに、おずおずとヤドカリ(宿借。ビジネスではない「民泊」)を始めてみたら、なんだかおもしろいのだ。こっちは泊り方を忘れているし、相手は泊め方を忘れている。僕は相手の好意にどのように応えたらいいのか。お礼をするべきか。それとも、気をつかわないほうが相手も気をつかわずにすみそうだから、気をつかってない感じのふるまいを心掛けるほうが結果的に気をつかえているって話になるのか…面倒くさいよ!

もちろん泊めてもらえるかどうかは相手次第。親しい間柄の人でも「それはちょっと…」とやんわり拒否する人もいた。はっきり言いにくい人はこうだ。「本当に困ったときはきてもいいよ」。これは、きてほしくないということである。

そんなふうに始まった「民泊」が、それからどうなっていったのか。いろんな人のところに泊まったいくうちに、自分でも想定していなかった展開が待っていたのだ。
東京の郊外でひとり暮らしをする妻の母親(僕にとっての義母)のところへ、結婚後25年近くたって初めて単身で泊めてもらったことをきっかけに、身内でありながらお互いをよく知らなかった義母と義理の息子(僕)の距離が、じりじりと縮まっていくではないか。その一方で信州・松本の自宅では、思春期を迎えつつある娘との関係が微妙な時期を迎え……きりがないね。
『別冊文藝春秋』連載中は、同時進行で書いていたこともあって、毎回悩みつつ、真剣そのものの顔でキーボードを打っていた記憶がある。1冊にまとめてみるとむしろ楽し気に読めてしまうのは、刊行のタイミングが、コロナ禍の最中であることとも関係があると思う。

ステイ・ホーム生活がもたらした「ソーシャル・ディスタンス」は一時しのぎの実用的な行動様式であるはずだけど、僕たちの日常に根を下ろしそうな気配だ。自分のことながら、遠い世界の話を読んでいる錯覚に陥る。
でも、遠慮したり自問自答したり、ギクシャク、よたよたしながら、人との関係をおもしろがれる生活を捨てたくない。いまだからこそ強くそう思う。
大好きな吉田拓郎の『どうしてこんなに悲しいんだろう』に耳を傾け、<やっぱり僕は人にもまれて みんなのなかで生きるのさ>という一節に深く頷くのだ。

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