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2016年7月22日金曜日

東京ヤドカリ日記7.20〜7.21シスターH

 yadokari diary in tokyo 
2016.7.20-7.21
<シスターH>
妹は姪とボクシングを見ていて兄のことなど気にしない。義弟は早々に自室へ

2泊3日のショートステイ。カンゴ寮の翌日は青梅市に住む妹のところに泊めてもらった。
れまでも年に2度くらいはきていたが、宿泊したことは過去一度しかない。
「そうだっけ? でもなんで宿無しになったの」
西荻を引き払ってからのことをかいつまんで話す。義弟も笑っていたが、友人のところに泊まったことはもう何年もないという。そうなんだよな。
義弟はぼくのやってることを理解できないようだし、やってみたいとも思わないようだけど、話を聞くのは楽しそうだ。
晩飯食って風呂入ってと、勝手知ったる妹のところだけに心身ともにリラックス。テレビではボクシングのタイトルマッチが始まった。姪が帰宅し近況報告など。小学校で放課後、子供たちの面倒を見ているそうだ。
せっかくなので妹と普段しないような話をしようかと思うが、それは何だとなると母のことになるのだが、具体性のない話ではしょうがなく、わざとらしくもあり、今度またと考え直す。
就職して春から自立した甥の部屋で寝る。安眠。

義弟は朝が早く、つられて5時半起床。
仕事に行く姪に駅まで送ってもらい、立川に出てあずさで松本へGO。


ハムスターを飼っている。あとはメダカがいる


ぶっちらかってるが、撮ってもええじゃろ
煙草はベランダでと、きつく言われるのであった
雨に煙る朝、7階からの眺め。
 

食事帖7.11〜7.20



新三河島[すずき]

トンカツ旨し
山田うどんの江橋さんと
単身赴任だから家メシが待ち遠しいのだ
畑の野菜は小さいが自作だから旨さもひとしお
夏はカレー
学芸大「海新山」
7.11 tokyo
朝 サラダ 卵サンド 
昼 回転ずし(清瀬 くら寿司)
夕 ざるそば(巣鴨 富士そば)
7.12 tokyo
昼 チャーシュー しゅうまいなど中華いろいろ
(新三河島 すずき) 写真
7.13 tokyo
昼 ヒレカツ、クリームコロッケ、エビフライのランチ
(神楽坂 かつ善) 写真
夜 マグロの煮つけ きゅうりの酢の物 とろろ
  みそ汁 飯一膳半
7.14 tokyo→matsumoto
朝 スクランブルエッグ ハム サラダ トースト  
昼 豚キムチ丼セット(所沢 山田うどん本店) 写真
夜 野菜の煮浸し そうめんチャンプルー すいか 写真
7.15 matsumoto
朝 空芯菜 鶏そぼろ みそ汁 飯一膳 ブルーベリー   
夜 ざるラーメン もやし もろきゅう トマト 写真
7.16 matsumoto
朝 ラタトュイユ パンケーキ プルーン  
昼 やきそば自作
夜 山芋すりおろし 鶏肉とレタス 切り干し大根
  海苔 みそ汁 飯二膳 写真
7.17 matsumoto
朝昼 サラダ パン プルーン  
夜 刺身 握り 茶碗蒸しなど(松本 近所の飲み屋)
7.18 matsumoto
朝 鮭のチーズ焼 切り干し大根 お新香 飯一膳半 
昼 おにぎり やきそば
夜 野菜と鶏肉のグリル 豆腐のサラダ カレー 写真
7.19 matsumoto→tokyo
朝 サンドイッチ(あずさ車内) 
昼 とろろそば(弁護士会館の蕎麦屋)
夜 チンジャオロース 餃子 ご飯セット(四谷三丁目 一番)
7.20 tokyo
朝 コンビニのパン1 牛乳 
昼 餃子 コラーゲン入りラーメン(学芸大 海新山)写真
夜 お好み焼き

2016年7月21日木曜日

東京ヤドカリ日記7.19〜7.20[カンゴ寮]

 yadokari diary in tokyo 
2016.7.19-7.20
<カンゴ寮>
動画撮影や加工といった作業に使われている仕事スペース。ここには写っていないが以前撮ったフィルムが大量に整理されていたりする。

カンゴローさんお世話になります。
神楽坂への移転祝いにカップを自作してくれた。

最近のヤドカリ生活のことを話していたら、泊まれるところあるよとカメラマンの中川カンゴローが言い出した。
「人んちもいいけど、ひとりで泊まりたいときは使ってよ」
ありがたいことである。ヤドカリしてると、一人の時間があまりないので、落ち着いてものを考えらえない傾向があるのは確かだ。
事務所を寝泊まりできるようにしてあるというので、さっそく世話になることに。30年来の友人なので、そのあたりは遠慮がない。なんていうかなあ、泊まっていいと言われたらそのまま受け取ればよいと思っている。
いま30年と書いて、本当に長いなと思う。それこそ駆け出しの時代だ。カンゴローはぼくより年長だけど、やはりフリーになったばかりだった。場所はスイスのスキー場である。その頃ぼくはスキー雑誌で仕事を始めたところで、初めての海外取材がスイスだった。カンゴローは別の雑誌の仕事で来ていたのだが、お互いプレスツアーを利用していたために親しくなったのだ。
それからはときどき一緒に仕事をするようになり、国内外あちこちに取材に出かけた。『翼の王国』ではインド、ジャマイカ、タイ、UAE、『サライ』で中国、『週刊ポスト』で全国主要観光地など。
可能なときは別々の部屋を取るけれど、相部屋になることも多く、そのうち家族同士のつきあいにもなって今に至る。まぁ、ぼくたちも歳を取ったということだし、仕事が縁で友達になった稀有な例だ。

この事務所はもともとカンゴロ-の自宅兼事務所だったのだが、いまは別の場所に住んでいて、仕事専用のオフィス。スタジオをやっている関係で、スタッフが帰宅できない場合など、宿泊することもあるという。
ということで、カンゴローの宿泊所だからカンゴ寮と命名。
カンゴロー夫妻と夕食。3人で飯ってのは久々だ。話が弾んで楽しい。カメラマンとライターじゃ業種が違うので仕事の話になりにくいのがいい。
21時ごろ部屋に入った。
PCは事務所に置いてきており荷物は着替えなど最小限。
部屋がきれいすぎて自分には似合わないかも…などと思うわけだが寝るだけの話なので気にせずシャワーを浴び、早めに消灯とした。
どことなく撮影の小道具っぽいアイテムが並ぶ

ストレッチなどしてみた
朝は5時台に目が覚め、近所のコンビニでコーヒーを買って飲む。8時前にチェックアウト。
神楽坂まで歩いて戻った。
朝の四谷三丁目付近。神楽坂の事務所までは約2.5キロ、徒歩35分、3700歩だった。

2016年7月15日金曜日

東京ヤドカリ日記7.07〜7.14

  yadokari diary in tokyo 
2016.7.07-7.14
<ハナ宿・民宿ミヤサカ・ちあき庵>

朝、ちあき庵より外を眺める

7.07 四谷のホテル
四ツ谷の宿に3名で宿泊

今回のヤドカリは7泊8日の日程だった。
初日は『トロイカ学習帳』(「ダ・ヴィンチ」連載)で四ツ谷の宿に泊まり込み取材。
メンバーは編集川戸君と日高トモキチ画伯と自分の3名。深夜まで本の検証作業に費やし、寝たのは4時ごろ。
けっこうヘロヘロになってチェックアウトし、そのまま打ち合わせその他やったため
午後は眠くてしょうがなかった。
自由に昼寝などしにくいヤドカリでは、徹夜はもっとも避けたいことのひとつだと実感。
夜には宴会があり、23時ごろにハナ宿に到着。

7.08-7.10&7.13 ハナ宿(東村山)
愛犬ハナは少々夏バテ気味である

ハナ宿こと義母の家はヤドカリ中もっとも多く泊めてもらっている定宿。
今回は週末の3泊と、松本に戻る前の1泊、計4泊お世話になる。
このごろは義母とも親しくなり、気軽に泊まれるようになってきた。
日曜日には洗濯もさせてもらった。
義母はマイペースな人なので、ペースを乱さなければ良い。
頼めば食事の世話などもしてもらえてありがたいかぎりである。
そして、食事などはむしろ頼んだ方が喜ばれることもわかってきた。
普段はひとり暮らしなので、誰かと食事をするほうが楽しいし、張り合いもあるということらしい。
なので、朝は一緒に食べるようにしている。
お返しにボクができることは少ない。ハナの散歩や、クルマにガソリン入れに行くことくらいだ。
「いるだけでもいいのよ。男の人が出入りするだけで防犯になるから」
立場的にはハナと同等だ。

7.11 民宿ミヤサカ(巣鴨)
民宿ミヤサカ1DK。家主は奥の部屋、ぼくはDKで就寝


11日は京成小岩で夜に用事があって終わりの時間が見えなかったので
チェックイン時刻に寛容な民宿ミヤサカを予約した。
ヤドカリ開始以来、4泊目だ。
宮坂君所望の酒を買い、23時に到着。シャワーを浴びる。
その間、IT関連の会社員の宮坂君はゲームをしていた。
マンガとゲームが好きな34歳で、ぼくとは2まわり歳が離れている。
このゲームがいかに面白いかを説明しながら手を動かすが、こっちは聞いちゃいない。
するとますますムキになって説明しようとし、集中が途切れ、失敗してしまう。
そんなことで、たいした話はしなかった。
前回宿泊してからこっち、
宮坂君に不運や不幸が訪れなかった証拠でもある。悪くない。
そして、2時になると「寝る」と言ってふとんに入るのである。
朝は9時半に家を出る。
なぜか朝風呂に入るのが習慣。
ボクは早起きしたので、せめてものお礼にと湯をためてあげた。
都営三田線に一緒に乗り、途中で別れた。

深夜、そして朝、宮坂君はゲームをする


7.12 ちあき庵(牛込)
ちあきさん78歳、ガン闘病中。この部屋に泊めてもらった。

今回、初宿泊となったのが、ちあきさんが住む<ちあき庵>だ。
ぼくの事務所からは徒歩で10分くらい。
しばらく前、事務所の大家であるユーコさんの家に食事に招かれて行ったら、
ちあきさんもきていて、初対面同士挨拶などするうちに、
世話好きなユーコさんが「この人、宿なしだから泊めてあげなよ」と言い出したのだ。
そうしたら、ちあきさんが、ぜひいらっしゃいと快諾。
先日、いつ来るんだと連絡があり、おじゃますることになった。

「ぼくはガンでね、医者から余命2年と言われてるんです」
いきなり、軽い口調でちあきさんは言うのだった。
闘病中であることは前回聞いていたが、そこまでとは。
髪がふさふさなのは抗がん剤治療をしていないためらしい。
「元気そうだし、歳も取っていて進行が遅いはずだから5年は大丈夫ですよ」
励ましてるんだか何だかわからない返事をしてしまった。
ちあきさんは元新聞社勤務で、関西の人。
体調を崩し、東京で暮らす子どもたちから、そばに住んでほしいと提案されて
3年ほど前に東京に来た。関西の家はそのままにしてあり、こちらではマンション暮らしだ。
ところが今年になって、奥さんが倒れ、入院してしまった。
それ以来、一人暮らしをしている。
新聞社時代のこととか、いろいろ喋っていたら、11時近くになってしまった。
いつもは10時過ぎに床に就くそうだが、気分よく喋って遅くなったなら
それもいいんじゃないかと思う。

翌朝、ちあきさんが入れてくれたコーヒーを飲みながら帰る支度をしていると、
「ぼくの体調が悪いときでなければいつでもきていいし、何日いてもいい」
もともとご夫婦ともオープンな人柄で、
関西にいるときは、旅人が半年も居ついたこともあったらしい。
にぎやかなのが好きなのかな。だとしたら、ひとりは寂しいだろう。
子どもたちがそばにいるとはいえ、それぞれの生活がある。
食事ひとつとってもなぁ、と思い、
「ぼくが神楽坂の事務所にいるとき、ご飯食べに行きましょう」と誘ってみた。
そういう、ごく普通にできていたことが思うに任せないんじゃないか。
ちあきさん、喜んでくれたみたいだった。今度、蕎麦屋か中華に誘ってみよう。
8時になったので席を立つ。
「合鍵、持っていきますか?」
今日のところはいいですと答えつつ、
様子を見がてら、ときどきちあき庵に泊まろうと決めた。

   ちあきさんの寝室

2016年7月13日水曜日

東京ヤドカリ日記 --ヤドカリ前夜--

[ヤドカリ前夜]

23年の西荻生活(自宅や事務所)に別れを告げるときが来た。

 
たいした荷物はないと思っていたのに、本や雑誌が出てくる出てくる。
間借りする事務所のマイスペース。寝泊まり禁止だ。 
西荻で寝袋寝の練習を。
 
ガレージセールで荷物を減らす。


新事務所は最小限の荷物でスタート


ヤドカリ生活を始めたそもそもの動機は経費の節約だった。
月に半分しかいない事務所にしちゃ家賃その他で金をかけ過ぎていると気がついたのだ。
光熱費など込みで13万円+松本との交通費はぼくの仕事量からすると多すぎると考えたのが2016年2月末くらいだったか。といって、家賃の安い事務所に住み替えるのでは規模が縮小するだけの話で、いやそれでもいいのだろうけど、構造が一緒なのでおもしろくない。
 ならばシェアオフィスはどうだろうかと調べ始めたときに友人のオフィスが引っ越すにあたり、
こないかと誘ってもらった。条件は光熱費込みで4万円だ。
その話に乗り、間借りを決めたところで、そこが純然たる事務所で寝泊りできないことがわかったのである。
 13万円ー4万円で9万円が浮くならば、その範囲で神楽坂にワンルームでも借りる方法もあったのだが、
たいした節約にはならない上に煩雑さが増すばかりだ。
また、その頃には荷物を大幅に減らして身軽になることがうれしくなってしまい、
わざわざ部屋を借りる選択肢は消してしまった。
 そうなると寝る場所がないが、それはなんとかすればいいと顧みず、引っ越しへと突っ走ったわけである。
 対応策はエアビーやゲストハウスの活用、いざとなればマンガ喫茶で乗り切ろうと思った。
フーテンのトロさんだ、なんてな。

 が、思い返せばですよ、西荻に別れを告げてまで身軽になったのは節約のためである。
月に半分として15日間、金を払って泊まっていたら意味がないことになる。
友人たちからもその矛盾を指摘され、かえって高くつくと言われたりした。

 ならばヤドカリはどうかと、無い知恵を絞ってみた。
 そのときに、面倒さや肉体的しんどさを予測して悩むのではなく、
自分はそういうのやってみたかったんだと思ったのだ。
前々から、どうして人は社会人になると、学生時代のように気軽に友達のところに泊まったり
しなくなるのだろうと思っていたからだ。
親しい友人でも徐々にそうなるものだし、まして結婚して家庭を持つ相手のところには押しかけにくい。
我が家にはときどき友人などがくるけれど、ときどきだからいいので、
いつでもウェルカムかというとそうでもない。
自分がそうなのだから、人が同じなのもわかる。
けれども、それは寂しいことだなと、そんな気持ちを持っていた。

 そのぼくが東京滞在時、宿無しになる。だったらヤドカリになるのはどうか。
もちろん、そればかりでは疲れるのでエアビーなども利用しつつの話である。
まぁ月に5日間くらい、友人や親せきのところを転々とする程度ならなんとかなるのではないかと思った。
 ところが、ぼくは甘く考えていたのだ、東京の宿泊事情を。
エアビーやゲストハウス、そうとう前に予約しないと取れません。
しかもエアビーは1泊で予約できるところは少なく、1週間以上が多い。

 つまりこういうことである。
安定して宿泊先を確保するには、1カ月以上前にスケジュールを決めて動かないと間に合わない。
一方、ぼくの仕事ときたらきわめて予定を立てにくい。
月の前半は取材が多く東京滞在の必要性が高い、くらいのざっくりしたものである。
それにしても連載企画に関しての話で、単発の仕事は時期など関係がない。意外にエアビーは利用しづらいのだ。

 有料宿泊施設を前もって押さえておき、それに合わせて上京、
取材や打ち合わせをこなす方法は応用が効きにくい。
フリーランスの都合に合わせてスケジュールを組んでくれる仕事先は、長年のつきあいがあったり、
奇特な担当者がいるところにかぎられるだろう。
その日は宿が取れてないんで別の日にしてくれないか、なんてのは通用しないし、
そんなことしたらたちまち仕事を失うに違いない。
 であれば、やはりヤドカリ生活を取り入れていくのが最善かつ自分にとっても楽しみな方法ということになる。
問題はヤドカリさせてくれるところがあるかということだが、そこは深く考えないことにした。
深く考えるれば考えるほど常識的な判断に陥りやすくなり、何もできなくなる。

 神楽坂の新事務所への引っ越しが4月26日に決まり、準備が慌ただしくなった。
目指すは身軽な仕事場だから旧事務所の荷物はできるだけ持っていきたくない。
といって松本の自宅にもスペース的なゆとりはない。
 事務所の荷物を大別すると本棚などの家具、書籍や雑誌、プリンターやPC、文具といった仕事道具になる。
最初に決めたのは神楽坂に持っていくものだった。机と椅子、プリンター、読書椅子、本棚1本、最小限の書類と文具、本。それ以外は持ち込まないと決めた。
一方、自宅に持ち帰るのはソファセット、カラーボックス数本、最小限の本や雑誌、衣類。
 残るのは何か。ベッド、布団、食器、レンジ、打ち合わせ用のテーブル、椅子、敷物、本や雑誌、雑貨などなど大量だ。処分を考ええなければならない。十分に使えるものが多く、捨ててしまうのは罪の意識を伴いそうだ。
もっとも大量にあるのは本だから、まずそこをどうするか。
ざっと勘定して書籍が二千冊、雑誌が千冊、自分でつくった「レポ」が三千冊。
これらを思い切りよく処分しなければどうしようもない。
 本と雑誌は簡単だ。つきあいのある古書店にきてもらえばいい。
以前、高遠の「本の家」を閉じる際に5千冊くらい処分したため、古書的価値のある本は少ないが、
頼めばまとめて持って行ってくれるはずである。大事にしてきた「写真時代」その他の雑誌は松本にでも運ぼう。写真集もそうしよう。いずれ何かで使うかもしれないから。
 それが変わったのはFBに「本をたくさん処分しなくちゃ」と何の気なしに書いたことによる。
すぐに予想外の反応があった。金沢と水戸の古書店が「買いますよ」「売ってください」とコメントやメールで連絡してきたのだ。
いや、そんなつもりではないのだよと思ったけれど、そのコンタクトの仕方に迫力がある。
西荻なら何もしなくていいが、地方に送るには選別や段ボール詰めをしなくちゃならない。
面倒だけど、彼らのほうが普段から仕入れで苦労していて、同じ本を喜んでくれるのではないだろうか。
そんなふうに思い、OKの返事を出した。
その後、松本でこれから古書店を開業しようとしてる知り合いからも連絡が入り、計3カ所で処分することになる。

荷物の中で早々に貰い手が現れたのはレンジとコーヒーメーカー。テーブルと折り畳み椅子5脚も引き取り先が決まった。うれしかったのは鹿の角。これは困ったなと思っていたんだけど、松本の知人が欲しいと言ってくれた。また、ベッドなどは義母の家で一時預かりしてもらうことになり、捨てるものが減ってきた。
役所に問合せ、粗大ごみシールを貼ったのは本棚1本、カラボなど。たいした量でもないのに4千円ほどかかってしまい、まだまだあるので義母宅に運んで、ごみ処理場に持ち込むことにした。
ツイッターで「ガレージセールをしてほしい」と呟いた人がいて、それも楽しいかなと開催してみた。
きてくれたのは20人くらい。宮城県かあやってきた人もいて驚いた。
値段をつけるのは単行本のみ、文庫や雑貨はすべて差し上げることにし、いくぶん減った。売り上げは4万5千円くらい。
もっとも困ったのは「レポ」である。当然捨てたくはないが持っていてもどうしようもないのだ。
表紙をはがして束ねたときは涙が出た。
でも、そんなことにも慣れてしまう。2日目からは何も考えず縛っていく。
「レポ」の処分だけは自分でやったが、他は申し出があるとありがたく手伝っていただいた。
岩橋真実、宮坂琢磨、西谷格、松本から来たHさん。4月26日の引っ越し当日は友人たちが力を貸してくれた。
もっとも、最後は結構ドタバタで、松本からクルマで来て義母宅に不用品を運び、
松本にも荷物を持ち帰り、どうにか部屋を空にした感じ。

とまあ、ヤドカリ前夜の引っ越しについて長々と書いてきたのは、
こういう細かいことはすぐ忘れてしまうことと、引っ越しをしながら徐々に、
東京で寝泊まりする場所がなくなることを実感したからだ。
早めに義母宅へ寝具を運んだのは、引っ越し前の数日間、
寝袋で床に寝る実験をしようと思ったからだが、5連泊はそれなりにきつかった。
寝返りが打てないせいか数時間寝ると目が覚めてしまうのだ。
でも逆に、一晩や二晩なら寝袋でも平気だとわかったのは収穫だった。
寝袋はシーツがいらない。誰かのところに泊まったとしても、あとでシーツを洗うなどの負担をかけなくて済む。

4月29日、不動産屋立ち合い。
鍵を返し、6年半ほど過ごした事務所から撤退。同時に、住んだり仕事場を持ったりして23年もいた西荻を離れることになった。
ぼくにとってこんなに大きな環境の変化は久しぶりのことだ。
連休は義母の家と松本、母のいる九州で過ごし、神楽坂に行ったのは5月10日。
最初のヤドカリ場所は義母の家である。


2016年7月12日火曜日

食事帖7.01〜7.10

今回は松本滞在が中心だから家メシ多し

 
畑の野菜に実がつき始めた。
夏は素麺。「徒歩徒歩亭」のラーメンは極細麺

     アラブのトルティーヤみたいなやつ

    たまには宴会もいいもんだ

7.01
朝 肉じゃがなど 味噌汁 酵素玄米二膳
昼 冷パスタ 野菜グリル
夕 アジのなめろう 肉じゃが残り 冷奴 大根と油揚げの煮物 写真
  酵素玄米二膳

7.02
昼 みょうがの酢漬け 冷やし中華
夕 イカのトマト煮 タコ酢 コロッケ ライス 写真

7.03
朝 サバの塩焼き ミョウガの酢漬けほか 飯一膳
昼 ざるうどん
夕 豆腐と長芋のバジル味噌焼き ひき肉のカレー 写真
  サラダ

7.04
昼 サラダ パン
夕 茄子とピーマンの炒め物 油揚 大根サラダ そうめん 写真

7.05
朝 サバの塩焼き チャプチェ 海苔 みそ汁 飯一膳半
昼 豆腐のサラダ つけめん
夕 夏野菜のグリル トマトとオクラのスープ パエリア 写真

7.06
朝 
昼 ざるそば
夕 (失念)

7.07
朝 野菜グリル サラダ パン 
昼 カツカレー サラダ(飯田橋 デニーズ)
夕 中華いろいろ(四ツ谷 徒歩徒歩亭) 写真

7.08
朝 サラダ パン (四ツ谷 宿の朝食)
昼 中東風のファストフード 写真
夕 ごちそういろいろ(新宿) 写真

7.09
朝 サラダ ソーセージ、パン 
夕 餃子 野菜グリル チェプチェ みそ汁 飯一膳

7.10
朝 アジの干物 野菜煮浸し 納豆 みそ汁 飯一膳 
昼 サンドイッチ
夕 トンカツ ポテサラ 生野菜 みそ汁 飯一膳

2016年7月2日土曜日

北尾トロ仕事帖2016.6月



『kotoba』初執筆

ダ・ヴィンチ連載中の「トロイカ学習帳」が100回を迎え、出雲から京都、奈良、和歌山、名古屋を経由して江戸(東京)に至る取材旅行をしてきました。あとは出張もなく平穏な感じ。
とはいえヤドカリは継続中で、ホテルハンザワ、民宿ミヤサカ、ヒラカツ荘、カルハウスなどを転々。会社の決算も無事に終了し、そろそろエンジンふかしていきたいなと。
7月はプレジデントオンラインの新連載と、蝉丸企画のネット連載が開始の予定。乞うご期待!

夜行バスで出雲へ

京都~奈良~和歌山~名古屋



2016.6月
<原稿>
・日記蒐集部 名もなき人生の跡をたどる(「マニアッ区紳士録」第8回、ラジオライフ、三才ブックス)
・連載100回記念カラー&増ページ 原点を見つめる2200キロ走破旅(トロイカ学習帳 第100回 ダ・ヴィンチ KADOKAWA)
・町中華探検隊がゆく!(第12回「幸軒」散歩の達人 交通新聞社)
・蝉丸伝説準備稿(集英社インターナショナルWEB)
新連載 北尾トロのビジネスマン裁判傍聴記 第1回「言い訳」(プレジデントオンライン)
・恋の法廷式 第6回[恋心が殺意に変わる瞬間](法学セミナー9月号 日本評論社)

<受取材>
・夫殺し、妻殺しについて(週刊朝日)